さよなら、卵たち

人間ドックの季節がやってきた。

 

今年は一般的な半日ドックに胃内視鏡と乳マンモグラフィーをオプションで追加。

去年は女性パックみたいなのをつけたんだけど、これがまああのその……あんまり意味がないってことになっちゃったんだなあ。

 

女性パックで+されるオプションは「子宮・卵巣・乳房」の三つ。

私は38歳のときに子宮頸癌で子宮全摘しているので、まず子宮の検査は要らない。

でも卵巣エコーは受けられるので、なんか新しくておもしろそうだから嬉々として検査室へ。

その結果すごいことを聞かされてしまった。

 

「現在の卵巣ですが、小指の第一関節から先……の半分くらいになっています」

 

えええええええええー!

と私は言ったと思う。

そしてその後絶句したと思う。

小さすぎて、落としたら見つからないんじゃ?

 

子宮を取って生理のない身だけれども、卵巣があるから、排卵してるな今日はってのは自覚があった。

だいたい50歳までは毎月一回、おっぱいがカチカチになって、ツルツルした透明のおりものが出る日があった。

 

51歳になるころには、月刊が隔月刊ぐらいになり、それから不定期刊行になり「月刊卵と私」はひっそりと休刊になっていたのに気づかなかった(書いていて悲しくなってきた……)。 

そして56歳の昨年、卵巣自体が萎みに萎んでいることを知らされたということだ。

 

たったそれだけのこと、当たり前のことなんだけれど、音もなく降り積もる雪のように重みある事実ー

 

「私の卵巣は萎んでいる

萎み続けている……消滅に向かって!」

 

目尻のシワなんかより余程重篤なことよ、これは。

何と言えばいいのだろう、自分の性別を剥がされていくような不思議な痛み。

 

アラ還になっても充実して生きていくには、日々「自分は女である」と上書きしていかないと、男でも女でもない無性別な存在になってしまいそうで、そこはかとなく怖い。

 

嗚呼、さよなら、私の卵たち!